「せや、千雪、最新情報や」
三田村が千雪を振り返った。
「なんやね」
胡散臭そうに千雪はいかにも嬉し気な三田村を見やる。
「山下先輩、警視庁に研修に来てはるみたいやで」
山下という名前に千雪はかすかに反応した。
高校の剣道部主将であった山下に、千雪は入部早々から山下が引退するまでイビラレた。
ほんのちょっとしたことで、道場の居残り掃除、朝連では素振り百回、明らかに不平等と思われる命令にキレかけて反論したことも何度もあった。
その度に、主将の命令だの一点張りで、千雪は唇を噛みながらも耐えるしかなかった。
山下に千雪が扱かれた話は、以前も仲間内で話題になったのだが、千雪を狙う上級生から盾になるためにわざと千雪だけ扱いたという。
山下は大学を卒業して京都府警に入ったキャリア組だというが、そんな昔の話の信憑性はわからないし、やはり千雪にしてみれば、思い出したくもない話だ。
「なんや、まだお前ネにもっとんのんか?」
研二が笑う。
「もうええわ。第一、山下さんが警視庁にいたかて、今の俺には何の関係もあれへん」
千雪の仏頂面に、三田村も苦笑する。
「まあなあ、街歩いとって、久しぶり、やなんてこともないやろしな」
「そういえば、匠からラインきたで。今、ロンドンやて?」
千雪は意図して話題を変えた。
「ああ、一か月くらい、ロンドンやパリやローマ辺りを回って、公演らしいで」
途端研二の笑みが優しくなる。
「ええなあ、俺も、どっか行きたいわ」
千雪は研二の笑みから目を反らして呟いた。
「お前、また、いきなりどっか消えたり、心臓に悪いよってやめろ」
三田村が言うと、「え、千雪さん、消えたの?」と万里子が面白そうに聞いてくる。
「せやね、あの時は往生したわ、ほんま、こいつ、一人で忽然と消えよって」
アスカや井上までが何だと寄ってくる。
「やから、ンな古い話せんでええわ」
千雪が阻止しようとしても、三田村は悦に入って話し始める。
千雪はもう勝手にせえとばかり、新しいビールを手にした。
匠がいないから研二は三田村と飲みだったわけかと思うと、何となくもやもやした気持ちが千雪の中でもたげてくる。
欲張りなんやな、俺って。
今更ながらに納得して、千雪はこっそり溜め息をつく。
でも、さっきも危ないマネをするなと真剣に怒ってくれるし、今までも、高校の時の山下のことでも、危うく暴走しかける千雪を常にその手前で制してくれていたのも研二だ。
いや、確かに研二は身を挺して千雪を守ってくれていたのだと。
ようやく最近になって、知らされた事実。
それは千雪の心を根底から揺るがした。
だが、今、研二は暗に言っているのだ、もう前だけを向いて行けと。
ただ研二の笑顔を見るたび、千雪の心の中で疼くものを千雪自身まだ持て余すしかなかった。
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