春立つ風に110

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「いえいえ、今日はちょっとゆっくり休み過ぎたくらいです」
 宇都宮は超過密スケジュールと聞いているが、相変わらず泰然自若という感じだ。
 良太が、俳優、すげえ、と思うところである。
「あれ、小笠原は?」
 良太は店内を見回し、腕時計を見た。
「おっはようございます!」
 ドタドタと真中を伴って小笠原が現れたのは十時まであと十五分という時刻だ。
「おはようって遅いじゃん」
「すみませーん」
 きっと睨み付ける良太にへらっと答えて、慌ててメイクさんのところに向かう。
 真中がペコリと頭を下げてその後を追った。
 今夜の最初のシーンには小笠原は出ないとはいえ、ちょっとたるんでるんじゃないのか、と良太は小笠原を見やる。
「まあまあ、そう目くじら立てなくても大丈夫。良太ちゃん、眉間に皴」
 小笠原に言われて思わず良太は額に手をやる。
「まあ、工藤だったら雷の一つや二つ落ちてます」
 工藤がいない間は自分が目を光らせておかなくてはならないのに。
 ここのところの小笠原は、私生活も以前のようなちゃらんぽらんさもなく、仕事に真面目に取り組んでいるようだったから、良太も見直していたのに。
 撮影になると役にのめり込むので憑依型などと言われることもあったりで、実力もぐんと上がって来ていたはずだ。
 まあ、たまには気を抜いたりなどもあるかもだが。
 何か、あったわけじゃないよな?
 後で真中に聞いてみることにして、良太は撮影が始まるとそちらに意識を向けた。
 演技に関しては何の問題もなくこなし、小笠原はまた美亜と言葉を交わしている。
 おや、と思ったのは小笠原ではなく美亜の方だった。
 良太は何となく美亜の雰囲気が沈んでいる気がしたが、案の定、撮影が始まって美亜が数少ない科白を口にするシーンでポカをやった。
「美亜ちゃん、科白」
 カットがかかって、溝田監督が声をかけた。
「あっ、すみません! 私………」
 おまけにポロッと涙が零れたものだから、「え、え、どうしちゃったの?」と監督もオロオロしてしまう。
 すかさず良太は美亜のところへ駆け寄ったが、「大丈夫? 美亜ちゃん」と良太やマネージャーの水谷より先に美亜に寄り添ったのは小笠原だった。
 小笠原と水谷に支えられながら、美亜は隅の方へ移動した。
 溝田監督が休憩を言い渡し、しんと静まり返っていた店内にはざわめきが戻った。
 良太も小笠原の横に立って、「何か、ありましたか?」と静かに尋ねた。
「すみません、すみません。プライベートなことなのに、すみません」
 美亜はひたすら謝るばかりだ。
「ほんとに申し訳ございません。少し休ませれば、大丈夫かと」
 水谷も良太に深々と頭を下げた。
「わかりました。でも無理はなさらないように」
 良太はそういうと、小笠原の腕を掴んで店の奥の方へたったか歩いていく。
「何だよ、良太」
 小笠原は不本意そうに文句を言ったが、「お前、まさか彼女と何かあったんじゃないよな?」と聞く良太に、「あるわけないだろ!」と声を荒げた。

 


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