春立つ風に166

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「バイトきっと何かあるから、いろいろ聞いてみるよ」
「わあ、よかった! これでまた上司に頭下げるとかになったら俺、情けないし」
 手放しで喜ぶと森村はミルフィーユを平らげた。
「なあ、良太、肝心要、忘れとらん?」
 千雪に言われて良太は、「肝心要? って?」と聞き返す。
「青山プロダクション」
 時々まともに見つめられると、やはり千雪の美貌にはドギマギしてしまう。
「その手があったか」
 確かに万年人手不足の青山プロダクションなら仕事はあれやこれやいろいろある。
 しかも万が一の時、森村ならボディガードさえ不可能ではないかも知れない。
 いや、森村にそんな危ない仕事は任せられないが、会社には新入社員はムリというような不文律が出来上がっている気がして、良太も千雪に言われるまで思いつかなかった。
 それに考えたら、森村は工藤の出自で回れ右するどころか、それをガードしている側なのだ。
「うちの社長にも聞いてみるけど、よかったら」
「え、ほんとですか?」
「あ、でも、うちの場合、その、モリーの上司にもお伺い立てといた方がいいかも」
「わかりました!」
 元気に大きな声で返事をする森村は可愛い系の顔だし、まだ学生かという雰囲気だ。
 妙な展開になったなと思いつつ、千雪を迎えに来た京助に森村も送ってもらうことになり、三人と別れてから、三十分程の予定で書家の三宅の部屋を訪れた良太だが、これが思いのほかズルズルと時間が経ってしまった。
 林という三宅と同年配のマネージャーが、懇切丁寧に三宅の仕事と言うか芸術と言うかをわざわざビデオまで使って延々説明をしてくれたと思えば、三宅は生真面目に自分が失敗を恐れず挑戦する、いかにポテンシャルの高い人間かをアピールしてくれた。
 三宅の書についてはネットでみたり調べたり、書画集をあるだけ購入して頭に入れたりしたものの、あらためて説明を受けると実に深いものだということを良太は思い知らされた。
 出演に関しては快諾してくれたものの、海外にいることが多いのでスケジュールについてはいずれまた打ち合わせをするということで、三宅の部屋を辞したのは既に六時を過ぎていた。
 疲れ果てて良太がオフィスに戻った頃にはもう鈴木さんも帰っていて、良太は暗証番号でドアを開けて中に入った。
 三宅の資料に今日の打ち合わせに関して打ち込んで更新すると、パソコンを閉じ、鍵をかけて自分の部屋に向かった。
 チビ達にご飯をやってセーターとジーンズに着替えてから『夕顔』に向かった頃はもう七時になろうとしていた。
 近いとはいえビル風が舞う外に出ると、良太は羽織ってきたダウンジャケットの襟元を掻き合わせた。
「さっぶう……」
 通りを入ってすぐに『夕顔』の文字が入った提灯が見えてきた。
「あら、いらっしゃい。お久しぶりね」
 暖簾の間から良太を認めると女将が明るく声をかけた。
「女将、奥、借りるぞ」
 良太を認めると工藤が立ちあがって奥の座敷へと向かう。
 わあ、何か不機嫌オーラがメラついてないか?
 鬼の形相でないのが、かえって怖いぞ。
 良太はいつも以上に寡黙な工藤の後ろ姿に顔を顰める。
 勝手に『猫の手』を動かして、工藤を見張らせていたことに怒っているのは確かだ。
 女将の夫である板前の前田にちょっと会釈すると、良太は工藤の後について座敷に上がった。
 すぐにお通しやおしぼりとともに、熱燗やアツアツの大根の煮物、揚げ出し豆腐、たこわさ、鶏肉の梅肉和え、ホタテの焼き物、刺し盛りなどがテーブルに並べられた。
 

 


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