月澄む空に155

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「野球、またやりたいって言ってましたよね」
 森村に聞かれて良太は顔を上げた。
「そりゃね。でもとてもそんな余裕ないしな」
 時間的にも精神的にも。
「ニューヨークに、地域のみんなで作ってるチームがあるんですよ。向こうに行ったら、週末に一緒にやりましょうよ」
 スタジオの撮影が始まり、いくつかのシーンの撮影が終わった頃、いきなり森村に意外な申し出をされて良太は面食らった。
「え、でも、俺、野球から離れてもう何年も経ってるぞ」
「高校野球とかじゃないんですから、全然平気。その辺のカフェのオーナーとか、平日はスーツ着てるおっちゃんとか、いろんな人間が集まってるチームなんで、楽しめればいいじゃないですか」
 森村は笑った。
「そう、だな」
 確かに、これからプロを目指すとか、そういうのとは違って、みんなで野球を楽しめればいいのだ。
「仕事に慣れたら、紹介してもらおうかな」
「任せといてください」
 森村を一緒に行かせると工藤が言った時、良太もちょっとほっとした。
 いや、どこのリーマンも、海外出張くらい一人で何とかするものだろうし、良太もそんなつもりでいたのだが、森村が一緒ならそれにこしたことはない。
「でも工藤さん、ほんと、良太さんのこと心配なんですね」
「こいつに任せといていいのかってことを心配してるだけだよ。社長は」
 噂をされて今頃工藤、くしゃみでもしてるんじゃないか。
「にしても工藤さんて過保護やな」
 とこちらでも同じ人間が噂されていた。
 大学にある学食は、おおかたの学生がランチを食べ終えて、残っているのは仕事がずれ込んで、遅くにやってきて今はのんびりコーヒーを飲んだりしている法学と法医学の研究室の人間くらいだ。
「ああ、ほんと、良太ちゃんが可愛くて仕方ないって感じよね」
 グイっとコーヒーを飲むと、香坂准教授が大きく伸びをした。
「はあ? あの工藤がか?」
 胡散臭げに京助が香坂を見た。
「ほんっと京助、あんたは人間観察がなってない」
 香坂に断言された京助は、「俺たち相手してるのは人間終わった連中だろうが」とむしろ正論を口にする。
「終わっても人間なの! 生前の人間性まで考えなきゃ、もう口を聞いてくれない終わった人達のためには」
 フンっと京助は鼻で笑う。
「だから科学がそれを教えてくれるんだろうが」
 京助の日常から考えれば、京助の方が感情的な見方をしそうだが、仕事に向かうと京助は徹底した科学者に豹変する。
「そんな、おもろいわけ? モルグが」
「いつでも見学に来い。何ならこれから一緒に行くか?」
 つい口走った千雪は、今にもモルグに連れて行きそうな京助の目に、「ありがたく、お断りするわ」と言いつつ立ち上がった。
「実際のご遺体くらい一度は見といた方がいいんじゃねえの?」
「俺、これから多部さんと打ち合わせやから」
 三十六計逃げるに如かず、とはこういう時に使うのだとばかり、千雪はすたこら学食から逃げ出した。
「ご遺体なんか、小説の中だけで十分や!」
 流血沙汰も解剖も絶対目にしたくない千雪は声に出して呟いた。

 


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