昼過ぎからやたら風が強くなった。
体感温度は確実に二度は下がっているだろう。
接待などで使う、工藤の馴染みの料亭『雅楽』は神楽坂にあった。
夕方から席を用意したのは、小林千雪との打ち合わせのためである。
工藤と千雪の他に良太もというのは、珍しい組み合わせだった。
良太は最近の工藤の行動からして何やら作為的なものを感じて、かえって千雪とのことまでも勘ぐりたくなるのだが。
でも、千雪さんとつきあってんの、あの京助だし。
ただ、工藤はどうだか……
いささかなりともマイナス思考になる自分を奮い立たせようと、良太は心の中で繰り返す。
千雪の小説の映画化第四弾は、来年冬の封切りを予定している。
ここのところドラマはいくつか続いたが、前回映画化されてからしばらく間があった。
今回は春に発表された最新作『春の夜の』が原作となる。
この作品の映画化に稀代の名監督野元巌が手を挙げた。
カンヌやベネチア映画祭でグランプリや賞を得て、一躍日本映画を世界レベルまで押し上げた逸材である。
師走とあってパーティだの忘年会だのがあちこちであるし、工藤にも招待状がわんさか届くのだが、そういった集まりが嫌いなのは工藤だけでなく、あまり顔を出すことがない千雪だが、先日のMBCテレビ主催の新社屋完成記念パーティには、工藤や良太と一緒に出席した。
その席で千雪はたまたま招待されていた野元監督と言葉を交わし、古典文学者である千雪の父小林和巳に傾倒していたという話から、いきなり千雪の作品を撮ってみたいと野元が言い出した。
すかさず来年に予定していると工藤が話を向けたところ、野元が、ではスケジュールを空けるから、と、あれよあれよという間に決まってしまったのである。
「ほんま全部お任せしてかまへんのですけど、とにかく付箋つけとけて、工藤さんいわはるから、一応適当につけときましたけど」
千雪は、かすかに良太の記憶にある学生時代と同じように、京都訛りで面倒くさげな言い方で自分の本を差し出した。
かすかにというのは、人気ミステリー作家ということでもの珍しさも手伝って講義をとったものの、その頃の良太は、ごく一般的に考えられているように、小林千雪のことを風采の上がらないダサさも極まれりの中年講師としか見ていなかったからだ。
千雪も講師を始めて間もない頃で、当時から彼の講義はわかりやすくて好きだという学生と、単位を取るだけでまったく興味がないという学生に分かれていた。
良太の場合、千雪が籍を置く宮島ゼミではなかったし、何でもっとちゃんと聞いていなかったのかと自分を叱咤したところで、あとの祭りだ。
いずれにせよ、野球三昧の学生生活を送っていた良太には、小林千雪という存在自体縁がないものだったのだが。
けぶるような睫毛、大きめの深く黒い瞳、細く通った鼻筋や薄紅色の唇、うつむき加減の表情はどこか憂いを含んでいるかのようだ。
よもや今ここにいる眉目秀麗を絵に描いたような人物が、あの中年講師だなんて誰が思うだろう。
やっぱ詐欺だ、とまた良太は胸の奥で愚痴る。
あの黒渕のメガネと千雪に対する思い込みのベールにごまかされて、モデル並みの体躯や、剣道で鍛えられた立ち居振る舞いの優雅さなどに気づくものがいないのだ。
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