春雷49

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「工藤さん」
 ベッドに近づいて声を掛けると、「何時だ」と言いながらシャツ一枚の工藤が起き上った。
「七時半です。大丈夫ですか? 熱あるんじゃないですか?」
「うーん、十時にヤザキ製菓の東京支社でミーティングがある」
 そのスケジュールはおそらく急遽決まったのだろう、と良太は推測した。
「じゃあ、とにかく何か食べて、薬飲んでください。パンのミルク煮とおかゆとうどんの中でどれがいいですか?」
「ああ?」
 唸るように眉を顰めて宙を睨み付けていたが、「おかゆか」と言った。
「わかりました。持ってくるから」
 良太はそそくさと自分の部屋に戻ると、キッチンに行って、おかゆのレトルトを湯煎にかけた。
 レンジで温めるより美味しい気がして、レトルトは大抵湯煎だ。
 おかゆを器に入れ、梅干しを添えて、薬や栄養ドリンクと一緒にトレーに乗せると、良太は隣へのドアを開けた。
 何だか、妙にこのドアが機能している気がする。
 工藤はシャワーを浴びたらしく、バスローブで頭をタオルで拭きながらリビングまでやってきた。
「シャワーとか、また熱上がるんじゃないですか?」
 良太は咎めるように言ったが、自分でも取引相手と会うのにシャワーを浴びない選択はないとは思う。
「だから薬を飲むんだろうが」
 声がまだ掠れていて、工藤ではないみたいだ。
 おかゆは念のため二パック温めたのだが、工藤はぺろりと平らげ、「味がない」と文句を言った。
 良太は市販薬でも眠くならない喉に効きそうな薬を選んで買った。
 工藤はその薬をドリンク剤で飲み干すと、ソファに座ったまま髪にドライヤーをあてた。
「コーヒーとお茶、どっちにします?」
 良太が聞くと、「お茶がいい」と工藤が言った。
「わかりました」
 良太はまたそそくさとトレーを持って自分の部屋に戻って行く。
 その後姿にチラッと視線をやると、工藤はふう、と大きく息を吐く。
 夕べは寝たつもりだが、身体がだるいから熱はまだあるらしい。
 前に北海道でも軽い風邪を引いたが、こんな風邪は子どもの時以来だ。
 滅多に風邪も引かないところも可愛げがないと思われたのだろうが、工藤の家に来ていた古い使用人だったか、高広ぼっちゃんは多佳子さまによく似ておられます、などというのを耳にしたことがある。
 母親も祖母も会ったことはないし、会いたいとも思わなかったが、それを聞いた曽祖父の機嫌が悪くなったらしいことも覚えている。
 中学の時、多佳子とは曾祖母の臨終の際に会ったのが最初で最後だが、この女に似ていてたまるか、と睨み付けたこともしっかと記憶している。
 年齢不詳で面差しのきつい美しい女だった。
 全く、良太にペンダントを渡して以来、鳴りを潜めているようだがまだ油断がならない。
 今度波多野に言っておかなければ。
 波多野は表向きは取引先の社員という関係だが、実は、亡くなった中山会の元組長の息がかかった影の工藤の護衛だ。
 H大を出たエリートだが、もともとアメリカでボディガード的な訓練を積んだ武道の使い手で森村の養父でもある。
 髪を適当に撫でつけ、シャツを着てタイを結ぶと、それでも気だけはしゃきっとする。
 MBCにいた頃は、きっちりスーツというよりはジーンズにシャツ程度で、同じくMBCのディレクターをやっていた類友の下柳とさして変わらない毎日だった。
 だが、会社を興し、クライアントに相対するのにはやはりスーツが戦闘服のようなものだ。
 曽祖父がそうであったように、曽祖父が愛用していたダンヒルで曽祖父に倣うようになった。
 曽祖父がスーツを着ると、昔の人間にしては背が高く体格もよかったせいか、ロンドンの紳士ってこんな感じだろうかと思わせるような佇まいだったのを覚えている。
 激高して怒るようなことはなかったが、冷たい印象が幼い工藤には曽祖父には好かれていないと思わせた。
 軽井沢の別荘に通って来ていた杉田の話によると、曽祖父は口数が少ないから冷たく見えるが、情の深い方だった、らしい。
 確かに、娘の多佳子が駆け落ち同然にヤクザの組長と暮らし始めたのを知って、組まで一人で談判に向かったというから、度胸の良さはこの曽祖父から受け継いだものなのかもしれない。

 


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