「あ、良太、来たんだ」
ぼんやり突っ立っていた良太は聞きなれた声に振り返った。
ドレスアップしたアスカと秋山が歩み寄った。
「ひとり? 工藤さんは?」
「うん、チケット渡すことになってるんだけど、まだ来てないし」
するとまた、「良太ちゃん、お久しぶりね」という声が、アスカらの後ろから近付いてきた。
うわ、東洋グループ次期総帥ご夫妻じゃん。
「ご無沙汰しております」
紫紀と小夜子は相変わらずゴージャスなカップルだ。
「よう」
しかも長身の二人、実はカップルの沢村が佐々木連れでやってきた。
「何だよ、お前、ひとりかよ」
「うるさいな」
佐々木も仕事が一段落したからか、穏やかな笑みを浮かべている。
「ここの集団だけ、注目浴びてるよ」
今度は後ろから、直子がプラグインの西口浩輔とともにやってくる。
「良太ちゃん、来られたんだ?」
直子は黒のドレスだが、ロックライブに行く時とは打って変わってシックな装いだ。
「いや、工藤さんにチケット渡すことになってるんだけど」
佳乃でも現れれば彼女に渡せばいいか、と良太は思う。
「え、良太ちゃんは?」
直子は怪訝な顔で良太を見つめた。
「俺は………あ、もう入った方がいいよ」
誰かと、おそらく佳乃と一緒の工藤を眺めていたくもないしという言葉を良太は飲み込んだ。
開演三十分前になり、ロビーにいた人々はホール内へと向かう。
ひょっとして工藤、風邪悪化したんじゃないだろうな。
時間に遅れることなどよくあるが、工藤の体調が体調だけに良太は心配になった。
ホールを覗いてチケットの席の位置だけ確認し、イラつきながらロビーで待っていると、京助と千雪、それに理香と速水が現れた。
理香は良太を見つけるとにっこり笑ってひらひらと手を振りながらホールに入って行く。
「あれ、良太、入れへんの?」
千雪が声をかけてきた。
「あ、お疲れ様です。どうぞ、お先に」
すると千雪は「ああ、工藤さん待っとんの」と察して、京助を急かしてホールへと消えた。
携帯の時刻は開演十五分前になった。
ひょっとして佳乃さん、具合悪くなって、来られなくなったとか。
「来られないなら、来られないで、電話くらい入れろよな」
ブツブツ文句を言っているうちに、開演十分前になる。
「おや、良太ちゃん、入らないの?」
あくせくとやってきたのは藤堂だった。
「お疲れ様です。お先にどうぞ」
藤堂はにっこり笑ってホールへのドアを開けた。
開演五分前。
足早にエントランスからやってくるダークグレーのツイードのコート。
え、一人? ひょっとして佳乃さんもう中に入ってるとか?
「工藤さん、早く」
良太はチケット二枚を工藤に差し出した。
と、工藤のポケットで携帯が鳴った。
工藤は眉を顰めつつ携帯を取り出すと、「はい、お世話になっております」と電話に出たが、少しお待ちくださいと相手に告げて良太に向き直り、チケットを一枚差し出すと、「先に入ってろ」と言う。
「は?」
一瞬意味を把握できなかった良太に、工藤は手ぶりで行けと指図すると携帯の相手と話し始めた。
良太は辛うじて、演奏が始まる前に席に辿り着いた。
工藤の席を挟んで座っていた佐々木が良太に微笑んだ。
何だよ、佳乃さん、来なかったのかよ。
ショパンのエチュードの軽やかなメロディから始まった桐島のピアノは、一気に聴衆を引きいれてしまう。
続いて楽し気なワルツが終わると、少し休憩時間が入った時、ホールのスタッフに案内されて工藤がやって来て良太の隣に座った。
すぐにノクターンが始まった。
あ、これなら知ってるぞ。
良太はそんなことを思いつつ、チケットがどうのということもどこかへ吹っ飛び、いつの間にかピアノの世界に入り込んでいた。
ピアノってこんなに重厚だったっけ。
一息ついたところで、サティのジムノペディにかわる。
ピアノが奏でる一つ一つの音が良太の心の中に響いてくる。
曲の合間、何気なく工藤を見やると、珍しく穏やかな顔でピアノの方を向いている。
風邪、よくなったみたいだな。
さっきの工藤からすると声もほぼ戻った気がする。
けどここで無理するとまたぶり返すんだからな。
サティの曲が二つ終わると、少し長い休憩に入った。
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