「ああ、当事者のお前は知らないこともあったかもだが、お前の出自がどうのと口にしたやつ、地方へ飛ばしてたぞ?」
「はあ?」
そんな話は工藤も初めて聞く。
「あの人、頭は切れる上にバックボーンが鴻池物産だろ? 上層部もあの人には逆らえないって感じでさ」
「まあ、俺が仕事ができたのは、あの人が後ろにいたからだってことはわかってますよ」
「だから、あの人が辞めるのと前後してお前も辞めたわけだよな。うん、しかし、引き時は悪くなかった。お前にとってはな。いい仕事もしてたし、人脈も作れてた。俺には仕事のことくらいしか庇ってやれなかったからな」
「とんでもない。紺野さんに引っ張ってもらったことはいくらもありますよ」
「だが、ここだけの話、鴻池さんのあの執着、お前に気があるんじゃないかって思ってたやつ、多かったぞ」
工藤は苦笑した。
「それはないでしょう。あの人、女侍らせるの好きだったじゃないですか」
「まあな」
紺野は頷きながら手酌でお猪口に酒を注ぐ。
「それ以前に喰えない人ですから、いろいろスレスレのことやってきたし」
「だよな。ま、あの人のことはいいが、お前、ほんとに今付き合ってる彼女いないのか?」
「また、それですか。いたら、今ここで紺野さんと飲んでないでしょうが」
すると紺野はグイッとお猪口の酒を空ける。
「いや、やっぱ、あの子か?」
「え?」
「今さっき、そうかと思ったんだ、いや、白状しろとか言うつもりはないが、バレンタインデーの夜だからなあ」
フンっと笑って紺野はまた酒を飲む。
「だから知り会いがわんさか招待されたんですよ、ピアニストの桐島夫妻から」
工藤は言ったが、「まあ、否定はしませんがね」と付け加える。
「あらら、やっぱ坂口さん、只者じゃねえわ。しかし、良太ちゃんがお前の後を追って、ワーカホリックになるんじゃないかって心配してたぞ」
「ったく、坂口さん情報は話半分に聞いといてくださいよ」
工藤は忌々し気に酒を煽った。
「いや、お前らを見るまでは、まさかあの工藤がってのがあったけどな。いんじゃないの? 俺はさ、お前がちゃんと人間に興味を持ってるのがわかって、ホッとしたんだよ。なんだ、やっぱお前があの子を出し惜しみしてるのか」
軽く揶揄されて、工藤は苦笑する。
「出し惜しみって」
いや、完全に否定できないことも確かなので、工藤はそれ以上言葉にせず、酒を飲む。
「ま、坂口さんはああ見えて人を見る目はあるからな。良太ちゃん、お偉いさんだろうが頓着しないとこは、お前を踏襲してきっちりものを言えるし、ちゃんと育ってるって話。まさしく大物感があるって言ってたぞ」
工藤は「それこそドラマやCMなんかもやってみて結構鍛えられたんで開き直ったんでしょう、あいつも」と言い、フンっと鼻で笑う。
どちらかというと相手かまわずで動く良太の怖いもの知らずの方が問題だろう。
「大丈夫か?」
ようやく戻ってきた良太を見て、工藤が声をかけた。
「あ、はい」
そう返事はしたが、調子に乗ってビールに熱燗とゴクゴク飲んでしまった上、鴻池の名前に良太の身体の方が反応して悪酔いしてしまったようだ。
例のひどく寒かった埠頭のロケあたりから、なんとなく調子が今一つだったのと、工藤のチケットのことであれやこれや考え過ぎたことが原因だろうと自分でもわかっている。
チケットは誰かと行くためというより、工藤にしてみれば会社として押さえておくべきだろうくらいな理由だったのだ。
それを変に意識して誰ともわからない相手に嫉妬してしまった自分を良太は嗤った。
「帰るか」
工藤は良太を促して席を立った。
良太を気遣う工藤を見て紺野が言った。
「ああ、ここは俺が持つ」
「ええ? 紺野さん、そりゃまた、ありがとうございます」
すると紺野は工藤の腕を引き寄せ、耳元で囁いた。
「大事にしてやれって言おうと思ったが、俺が言うまでもなかったな」
工藤はフンっと笑い、「呑み過ぎないように」と言い残して良太とともに店を出た。
「タクシー、平気か?」
「あ、はい」
あらかた戻したので、車内で粗相をすることもないだろう。
工藤の大事な先輩の前で、失敗したなと、良太は反省する。
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