そんなお前が好きだった46

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 しかも家までつきとめるとか、いったいどうやって……。
 響はクラウスのことなど井原には知られたくなかったのだが、車を家の前に置いているから帰れとも言えない。
 家に近づくと、門の中から長身の男が出てきて、響を認めると、「ヒビキ!」と呼んだ。
「何しに来たんだ? 俺は会いたくないと言ったはずだ」
 開口一番、語気は荒めだがトーンを抑えて響は言った。
 ドイツ語はあまり得意ではなかったが、それでも雰囲気で井原は響の怒りを感じた。
「俺は響を愛しているんだ! 妻とは別れる! ほんとだ」
 日本語だったら当然隣近所迷惑だろう言葉を、クラウスは口にした。
 既にすっかり冷めた響にしてみれば、そんな言葉は陳腐でしかなかった。
 金髪碧眼、イケメンの代表のような男は仕立てのいいスーツを身に纏い、セレブ感もある。
 が、多少俺の方が身長は勝っている。
 そんなことを心の中で呟いた井原は、思わずドイツ人らしき男を睨み付けた。
「あんたが何をしようが勝手だけど、俺の気持ちは変わらない。俺はここで仕事も見つけて暮らしている。もうドイツに戻るつもりもない」
「Oh! ヒビキ、お願いだから」
 オーヒビキ、だけは井原にもわかった。
 何やら情けない表情で、響に懇願しているらしいことも。
「あんたがやるべきことは、奥さんと子供を大切にすることだ。もうみっともないマネはしない方がいい」
 響の言葉も表情もひどく冷たかった。
 だがそれでクラウスにはようやく響の言わんとすることが伝わったようだ。
「響に出会った時は運命だと思ったんだ。妻子がいたが、響を愛していた。妻子には悪いと悩んだが、別れるしかないと」
 クラウスはブツブツと続けた。
「もっと早く決断すべきだった。君の心が離れてしまう前に。結果的に騙していてすまなかった」
 諦めたらしいクラウスはやっと背を向けたが、また振り返り、「そこにいる彼は新しい恋人?」と聞いた。
「いや、仕事の同僚だ」
 響は簡潔に答えた。
「そう。ただ、これだけは言わせてくれ。どこにいても君はピアノを続けてほしい。俺は君のピアノが好きだ」
 オーケストラを率いている時の威厳も形無しじゃないか。
 響は肩を落として去っていくクラウスをしばし見送ってから、門を開けた。
「悪かったな。せっかく……」
 響は井原に何と言っていいかわからなかった。
「引っ越しが決まったら知らせてくれ。手伝いに行けたら行くし」
「あ、ああ、一応、来週の土曜日あたりと思ってるんだけど」
 井原も今の男のことを聞きたいにもかかわらず、どう切り出していいかわからない。
「じゃあ、また」
 響は井原に視線を合わせようとしない。
「あの」
 車のドアを開ける前に、性分でそのままにしておくことができず、やはり井原は聞かないではいられなかった。
「さっきの人って、どういう………」
「クラウス? オーケストラの指揮者で、今度日本公演やることになったって、今回下見に来日したらしい。以前、ピアノで一緒にやったことがあって」
 一瞬戸惑ったが、響は端的に事実のみを説明する。
「また一緒にやりましょうとか?」
「それはないけど、俺がピアノを辞めるとか思ったみたいで、続けてくれとか」
 肝心かなめの事情はすっとばして、響は仕事上のことだけを話した。
「え、じゃあ、またどこかに行くとか?」
「そんな予定はないさ。ピアノはどこにいてもやれるし」
「ふーん、指揮者なんだ」
 井原は呟いた。
 響は口にはしなかったものの、二人のようすからはそういった表面的なこと以外の関係が如実に感じ取られた。
 二人がただの友人同士ではないだろうことも。

 


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