誰にもやらない40

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「俺に下手な芝居をさせんなよ、バカヤロ!」
 ひとり、エントランスに佇む藤堂のポケットで、携帯が、今度は軽やかに鳴った。
「え、あ、マコちゃん? わりぃ!! 急に仕事が入っちゃって、お昼、行けなくなっちゃってさ。この埋め合わせは…え、あ、ちょっと待てよ!! マコちゃん?!」
 藤堂は再度呼びかけたが、既にツーツーという無機質な音しか聞こえてこなかった。
 
 
   
 
 しばしの間、浩輔と河崎は互いに状況を把握しかねていた。
「今、電話で、藤堂さんが…あの…」
「義行が、どうしたって?」
 振り返って、浩輔は藤堂の姿を探そうとしたが、後ろのドアは既に閉まっていた。
 気まずい沈黙の中で、覚えていてくれたのだろうか、足元に擦り寄る猫を浩輔は抱き上げた。
 そんな浩輔を、河崎はじっと見つめている。
「あの、河崎さん、馬場さんを殴って、謹慎してるって、藤堂さんが…」
「で? 心配して、来てくれたのか?」
「…チビスケ…ずっと面倒みてくれてたんですね。なのに、俺、俺、ひどいこと言って…」
 涙が頬を伝って落ちた。
 気がつくと、河崎は猫ごと、浩輔を抱き締めていた。
 どのくらいたったろう、苦しくなった猫が、浩輔の腕から抜け出して床に降りた。
 それでも、河崎は浩輔の肩に顔を埋めるようにして、細い身体を抱き締めていた。
 浩輔はやがて我に返り、身体を離そうと身を捩った。
 ようやく河崎は腕の力を抜いた。
「お前が出て行ったのを知った時、俺は途方に暮れた」
 河崎は浩輔の頬に手を伸ばした。
「同時に、自分の腑甲斐無さを呪ったよ。結局、俺はお前を傷つけただけだったんだって」
「俺、俺なんか、河崎さんの傍にいちゃいけないって、そんな資格ないって、だから…」
「俺は、お前を振り回しても、優しい言葉一つ、かけられねー男だからな」
 河崎は自嘲する。
「お前に、愛想つかされるのも当然だ」
「違う、俺…」
 涙がまた溢れてくる。
 言葉にもならない。
「初めはヘラヘラ懐いてくるガキ面をちょっと摘み食いしてみたくなっただけだった。どうせ、目的は俺に近づいてくる女どもと同じだと思ってた。なのにお前は、怒鳴っても怒鳴っても、俺に向ってきたよな。いつも一生懸命で…。自分のことしか考えてないやつらばっかの中でお前だけは違ってるんだとやっとわかった。いつのまにか俺はお前だけは手放したくないと思うようになった」
「ウ…ソ…」
 浩輔は涙を手で拭いながら河崎を見上げた。
「お前は俺だけのものだと、勝手に思い込んでた。お前が俺の前からいなくなって、滅茶苦茶後悔した。ずっと、お前に戻ってきて欲しかった…」
 いつも傲岸不遜に自分を見下していると思っていた河崎のらしくない自信なさげな言葉が続く。
「だって…そんなの…」
 信じられない。
 浩輔は首を横に振る。
「こないだは、お前が思いどおりにならねんで、つい、ムチャやっちまった…これで、ほんとに、お前に最後通牒渡されたんだと、自棄になってた…自業自得なのにな」
 じっと浩輔を見つめる河崎の手が、浩輔の頭を優しく撫でる。
「俺の傍にいろよ……どこにもいくな」
「河崎さ…ん…」
 本当にその腕をとってもいいのだろうか。
 どうしても拭えない不安。
 けれど再び河崎に抱き込まれると、浩輔はもうただその胸にすがりついてしまった。


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