夏に佐々木を連れて信州に行く前に、山荘に置いていた古いランドクルーザーをSUV車、GLS200に乗り換えた。
スキーにも行くつもりでスタッドレスも履かせているし、とにかく車を変える必要があった。
ホテルの駐車場に車を入れてすぐ、ポケットの携帯が鳴った。
「かあさん? 今ちょっと忙しい。……え、ラウンジに?」
母親がホテルのラウンジにいて、明日から東京を離れるので、少しだけ話せないかと言う。
「何だよ、一体」
沢村は部屋のナンバーを教えて直接来るように言うと、足早にエレベーターに向かった。
手早くスーツを脱ぎ捨てて手近なセーターをかぶり、ジーンズに履き替え、すぐにも出かけられるばかりになった頃、ドアがノックされた。
「ごめんなさい、急に」
彰子は相も変わらない不愛想な息子の顔を見上げながら言った。
ブラウン系のショートボブは息子の面影がある整った小顔によく合い、パリあたりのブランドだろうざっくりとしたグレイのセーター、白のパンツに焦げ茶のショートブーツが品よく彼女を引立て、一六〇センチ代の身長もあいまって五十六歳という本来の年齢よりも若々しく見せている。
「で、何? 俺、今から出かけるんで」
苛つきながら沢村はリビングまで戻って母親に尋ねた。
彰子は少し笑みを浮かべた。
「明日から北海道に行くの、梶田と。梶田が急遽年明けからS医大病院に呼ばれたので、マンションを探したりするらしくて」
「へえ。いんじゃね。一緒に行くんだろ」
ったく、母親はしっかり相手とうまくやっているってのにな。
沢村は自嘲する。
「そうね。でも、私はこっちで活動も続けたいし……。とりあえず、沢村には離婚届を渡してきたの」
「え………」
家同士の結婚で、そのしがらみで離婚は難しいと彰子は言っていたが、決心がついたということか。
彰子は現在、神戸の父親から譲り受けた都内のマンションに一人で暮らしていて、動物保護などを掲げるNPO団体「花の環」の代表を務め、様々なボランティア活動を行っている。
「遅かったくらいだろ」
「兄さんが家のことは気にしなくていいと言ってくれたし、向こうは由樹ちゃんがいずれは次期CEOにって決まって、今度、三友商事取締役就任のパーティがあるそうよ」
「へえ」
たいして興味もなさげに沢村は適当な相槌をうつ。
由樹は八歳上の沢村の従姉にあたり、K大を卒業後アメリカのH大に留学し、MBAも取得した才媛でシングルマザーでもある。
弟が二人いるが、沢村の五つ上の義樹はM工科大にいる科学者で、三つ上の正樹は夫婦共々動物学者で世界中を歩き回っている変わり者と周りから言われているが、この一家はみんな仲が良く、祖父が可愛がっていた沢村に対してももう一人の弟のように扱ってくれている。
神戸の従姉弟たちに対しての方が少なくとも実の兄によりは情があるかもしれない。
「沢村が判を押すかどうかは知らないけど。いずれにしても紙切れ一枚の契約なんて、私には無用のシロモノよ。梶田とは一緒に歩いていくつもりだけど、結婚とかには執着しない」
「それもいんじゃね? 母さんのやりたいようにやれば」
沢村は話はもう終わったものと、ドアへ向かう。
「佐々木さんておっしゃるのね、箱根の坂下さんから聞いたわ。今、お付き合いしてる方なのね?」
だが、一緒に部屋を出てすぐ、彰子の言った言葉に、沢村は振り返った。
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