「相変わらずきっついな、お前んちのオフクロ」
手塚は笑いながら、「風の噂にお前、離婚したって聞いたけど、とっくにこんな可愛い彼女いたんだ?」と付け加えた。
「あ、いや…」
「私は佐々木さんのオフィスのアシスタントで、今夜はお茶のお稽古にお邪魔していただけです」
佐々木が何か言う前に、直子がきっぱりと言い放った。
「ほんまに直ちゃん、おおきに! 車で送るわ」
「まだ電車動いてるから平気。佐々木ちゃんはとにかく、身体休めて! 明日早いんでしょ? 片付けも明日の朝やっとくし、先生のことは私も仲田さんもいるし、任せて! いい? ちゃんと睡眠取らなきゃダメだからね!」
「わかった、おおきに」
ビシッと言われると、佐々木も頷くしかなかった。
「じゃ、これで失礼します!」
元気な足取りで帰っていく直子を見送った佐々木は、深く息をついた。
何が何だかという状況である。
とりあえず、パソコンも放りっぱなしのオフィスに戻って電源を落とさねば、とヨロヨロと歩き出す。
「おい、かなりな疲労困憊状態のようだな。今世紀始まって以来の美貌が台無しだ」
「アホな言いぐさにも反論する気力もないから、ほな、よろしゅう。明日また迎えにきますよって」
「おう、そのうち飲み、行こうぜ」
ああいったフザケタ態度がなければ陽気でタフな先輩なのだが。
久乃先生も細かいところが気になって仕方がない淑子とは正反対の大らかでざっくりした性格で、確かにあの母親にしてこの息子なのかも知れない。
家が近所なだけに、小学校から大柄でいわゆるガキ大将というやつで、子分どもを集めて高校を卒業するまで佐々木の親衛隊を自認していたというのが、この手塚稔のことで、勉強嫌いで二浪くらいしてようやくどこか地方の大学の医学部に入ったらしい。
何せ、子供の頃は佐々木と一緒に帰ってくると、足を拭いてから上がれ、手を洗え、手づかみで食べるな、淑子にはよくガミガミ怒られまくっていたにもかかわらず、何を言われても屁のカッパ、佐々木家の雑木林に秘密基地を作り、佐々木がお茶の稽古をしていようが、勝手に庭に入り込んで子分どもと遊んでいた。
忘れていた子供の頃の情景が一気に思い出されて、佐々木は苦笑を禁じ得ない。
数年前に通りで偶然会った時は、結婚して子供が一人いたようだが、やがて離婚し、子供は奥さんが引き取り、国境なき医師団に参加して海外にいる、まではそれこそ風の噂で聞いていた。
「相変わらずタフそうなオッサンやな」
手塚の髭面を思い出して、佐々木はふっと笑った。
国境なき医師団といえば、世界中の危険地域未開発地域にもおそらく入ったのだろう、自分が平穏な日本でのほほんと生きてきた時間を、あの風貌はそういった厳しい経験の上に出来上がったものなのか。
いやいや、子供の頃からの大人を大人とも思わないふてぶてしさが健在なだけだ。
「まあいい、とにかく今日は休もう……」
直子にきっちり言われたように、もはや限界だった。
佐々木はオフィスに戻ると、パソコンの電源を落とし、夕食の残骸を片付けてから、施錠して家へと向かう。
back next top Novels
にほんブログ村
いつもありがとうございます
