「この際、新調しちゃったら? 天才クリエイターですってやつ」
「新調なぁ」
他愛ないおしゃべりをして、直子が企画書のデータをPCに打ち込み終わる頃には六時を過ぎていた。
「今日はこれで上がってもいいかなぁ?」
カップや皿を片付けてキッチンから出てきた直子が言った。
「おおきに。そや、ナオちゃん、時間、十時六時でええ? 残業はちゃんとつけてね」
「うん。何かの時はフレックスにして?」
「もちろん、ええよ」
「お先に失礼しまぁす」
直子が帰るとだだっ広いオフィスがシーンと静まり返った。
不意にあの男の声が蘇る。
――――――今夜、七時頃迎えに行きます。
壁の時計を見ると六時四十分。
「アホらしい!」
佐々木は立ち上がる。
何で一人悶々と、そんな男を待ってなあかんね。
もう、ばっくれたる。
あと何ゆうてきたかて突っぱねたらええんやし。
佐々木は決意し、バッグやキーホルダを掴み、明りやエアコンを消してセキュリティを確かめると、裏口のドアから出て鍵をかける。
何かに追われるように慌てて階段を降りた。
「佐々木さん、今日はもうお帰りですか?」
振り返ると、大型のベンツに凭れて男が立っていた。
街路灯の明りが映す男のシルエットは、うろ覚えの佐々木の記憶よりもがっしりと、先ほど別れた藤堂よりもさらに大きく、かすかに笑っているように見えた。
和室は慣れているが、こんな格式の高そうな料亭の一室に通されたりすると、お偉いさんがひそひそ悪巧みをしているみたいなシチュエーションを考えてしまうのは、庶民の悲しさなのか。
「大事なお客さんだからよろしく」
女将が出て行く時に男はそんなことを言った。
男が佐々木を連れてきたのは、品川の老舗料亭だった。
茶道をたしなんでいれば、懐石料理など珍しくもないが、こうして誰かと二人きりでというのは背中がむずがゆくなるような気がして、佐々木はひたすら出てきたものを食べていた。
いや、それだけではない、いくら人からジロジロ見られることに慣れているとはいえ、もうずっと、さっきから男に凝視されていることに、何やら身の置き所がないというやつなのだ。
お見合いやあるまいし!
素面で、明るいところで見た男は、佐々木のおぼろげな記憶を裏切って、いい男でもかなりハイレベルなイケメンだった。
しかも程よく日に焼けて精悍で目には理知的な輝きさえ見て取れる。
さらにかなり大柄なのだが、短めに整えられた髪は黒く、グレードの高いスーツを隙なく着こなし、立ち居振る舞いに育ちのよさが滲み出ている。
時折、思考は昨夜へと引っ張られ、この男に男の自分が……、と際限なくいたたまれなくなって、頭に血が上り、ひたすら食べることで紛らすしかない。
「あの、そうジロジロ見られると、せっかく美味いもんが食べた気がせぇへんのですけど」
ついに佐々木はそう口にする。
「いや、すみません、佐々木さん本人に負けず、所作がすごくきれいなので、見とれてしまって」
うっと思わず食べたものが喉に詰まりそうな美辞麗句に、こいつ、やっぱかなりのタラシやな、と佐々木は再認識する。
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