母親を安心させたい……か。
うちが家庭崩壊しているから、そんなこと考えもしなかった。
空のグラスに注がれたバーボンを、沢村はまた一気に飲み干した。
「大丈夫? 何かあったの? そういう時は言葉にしちゃった方が楽になるわよ」
マリオンに声をかけられて、その存在を思い出した。
「帰るよ。悪かったな、つき合わせて」
「気をつけて。タクシーすぐつかまればいいけど」
カウンターの止まり木からマリオンが、メリー・クリスマスと手を振った。
バーを出ると、さっきよりは雨の勢いはなくなっていたが、霧雨が全身を包んだ。
タクシーが捕まらなくても、ホテルまで歩いて三十分もあれば辿り着くだろう。
頭は冷えても、佐々木への思いは抑えられそうにない。
あの人の母親も周りの何もかも蹴散らしてもあの人を手に入れたいなんてのは、傲慢だからか。
それでも、どうしても、失いたくはないんだ。
明け方、窓の外の庭はうっすらと雪化粧していた。
昨夜部屋に帰ってから、ブランデーを飲んでベッドに入ったのだが、眠りが浅く、目を覚ました佐々木はもう眠ることができず、結局起き出した。
シャワーを浴びて出てくる頃には、雪は跡形もなく消えていた。
湯を沸かして冷蔵庫を覗くと、数日前に買ったバゲットがあったので、ナイフで切ってオーブントースターに放り込む。
パンが焼ける間に、コーヒーを入れた。
最近不規則な食生活が続いていた佐々木には、パンにバターを塗ってコーヒーを飲むだけでもマシな方である。
独立してオフィスを持ってからというもの、オフィスの準備はもとより、仕事に追われてなかなか母親の相手ができなかったので、この週末は目いっぱい母親の下僕にならざるを得なくなった。
正月用の花や床の間の飾り物、それに遅れてしまったお歳暮などを調達するために十時には車を出さなくてはならない。
佐々木は寝室に戻ると、昨夜ソファに脱ぎ散らかしたままになっていたジャケットやズボンをハンガーにかけてクローゼットにしまう。
「こんなとこナオちゃんに見られたら怒られそうやな」
比べるわけではないが、友香と暮らしていた頃は仕事や制作が第一で互いに身の回りの物には無頓着だったから、何日も掃除をしていない有様をたまに覗く母親に怒られていた。
食事だけはできる限り母親と一緒に食べることにしていたし、佐々木が作っていたから、あの頃の食生活は充実していたといえる。
友香は最初、自分がしっかり作るのだと料理本を買い込み、一生懸命だった。
作るのに時間がかかるし、米は洗わずに炊く、味噌汁は出汁を取らずに化学調味料で作るで、はっきり言って美味いとはいえなかったものの、それでも頑張っていたのだが、ある時天ぷらを揚げようとして手にちょっと火傷を負ってしまった。
それぞれ得て不得手があるからと、以来佐々木が自分で作ることにした。
それでも洗濯やら掃除やら家事の類は佐々木の母親にあれこれ言われながらも、友香はそれなりに頑張っていたのだ。
だがもともと父親の仕事の関係で幼い頃はスペインで育ち、家庭的にもラフな雰囲気で、厳格なしきたりを第一に考えるような母親とはやはり合わなかったのだろう。
別れてからもっと彼女をフォロウしてやればよかったと後悔したが、今となってはそれも昔のことだ。
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