春立つ風に108

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 昨秋に放映された『田園』の撮影の際、ぽっと出の新人だった本谷にきつい言葉を浴びせかけたのも、マネージャーすらいつもついていない上に仕事に対する準備すら曖昧でセリフも満足にしゃべれずにリテイクで周りに迷惑をかけていることに対して、竹野にしてみれば当然といえば当然だったのかも知れない。
 そのお陰でというべきか、本谷は最近、謙虚で一生懸命で仕事に対する姿勢がいいという評判も良太は耳にした。
 実力も徐々についてきているという。
 やっぱ、竹野さんって、プロだわ。
 良太は改めて感心する。
「何かさあ」
 いきなり後ろから声を掛けられて良太は振り返った。
「アスカさん、びっくりした」
「竹野、前は悪評高き女優の第一人者だったのにさ、ここんとこ、角が取れていい女優になったとか言われてるのよ、腹立つ」
 良太は吹き出した。
「アスカさんと競ってたもんね」
「良太、殺されたい?」
「物騒なこと言わないでくださいよ、警部」
「ミステリーの鉄則を破らせないでよ」
 アスカはフンとすました顔で良太を見る。
「てか、良太、本気で大丈夫? 何か憔悴感あるし、今日はもう会社帰れば? 夜は例のバーの撮影あるんでしょ?」
 それを聞くと増々良太は気が重くなる。
「大丈夫よ、撮影のことは秋山さんが見張ってるから」
「見張るって」
 ハハハと良太は空笑いする。
 アスカはすると秋山を手招きして、良太に言ったことを繰り返した。
「ああ、ここは任せて大丈夫。何かあったら連絡入れるし。良太ちゃん倒れたりしたらもっとヤバイ」
 秋山にも脅されて、良太はスタジオを離れることにした。
 今日の撮影はえらく順調で、早めに終わる気配もあったからでもある。
「ねえ、あの子、やっぱ何かあるわ」
 スタジオを出ていく良太の背中を見つめながら、アスカが言った。
「ですね。精神的に何か抱えているような気がします」
 秋山が頷いた。
 今日明日は、夜、十時からバー『ギャット』は貸し切りで撮影が行われる。
 それで何か不測の事態が起こらない限り、『ギャット』での撮影はスケジュール的には終わる。
 あと二日、何とか終わってもらわないと。
 良太は車を乃木坂にある会社の駐車場に入れると、二階のオフィスへ続く階段を上がる。
「あら、早かったのね、お帰りなさい」
 いつもながら温かい笑顔で、鈴木さんが良太を出迎えてくれる。
「何か、疲れっぽい顔してたみたいで、秋山さんが帰れって言ってくれて。今日は撮影も早めに終わりそうだったし」
「無理しないのよ? 京都から戻ったばかりだし、少しお部屋でぐうたらしてなさいな」
 笑う鈴木さんに、良太も思わず笑みを浮かべた。
「じゃあ、ちょっとだけ」
 まだ夕方の四時だし、夜の撮影まで割と時間はある。
 猫たちの顔でも見てくるか。
 良太はオフィスを出てエレベーターに乗った。
 

 


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