春立つ風に55

back  next  top  Novels


「いやまあ、長年こういう商売やってると、いろんな噂がいろんなところから耳に入ってきたりしてね。人気モデルでこれからって時に業界から足を洗っちゃったでしょ。だから余計に今も根強いファンがいるみたいだよ」
「はあ、それは聞きましたけど。それが海老原さんに引導を渡したみたいなプロデューサーってのがいたらしくて」
 良太が含みのある言い方をするので、宇都宮が俄然興味を持ったという目で次を促した。
「なんだあ? 面白そうな話だな。おっと、次の休憩が楽しみだ」
 監督が指示したその時、良太は小笠原とちょっと目が合った。
 小笠原は良太とはちょうど真向こうの位置に陣取っていて、川野や南雲らとよく話をしている。
 次の撮影に入ると、宇都宮と小笠原との言い争いのシーンだった。
 激高した小笠原演ずる小椋刑事とどこまでも落ち着いている宇都宮演ずる椎名は、既に役に入り込んでいるようだった。
 そこへ小椋刑事の上司である和泉警部が割り込んで、双方をたちどころにおとなしくさせるという設定だ。
 川野さん、何か、輝いてるよなあ。
 やっぱ、俳優さんって、すごいよな。
 さっきまで俺としゃべってたのに、宇都宮さんもカメラが回るといきなり自分じゃない自分になりきってるんだもんな。
 良太は腕組みをして感心しながら演者たちを見つめていた。
 案の定撮影は真夜中三時を回る頃まで続いた。
「お疲れ様でした」
 大御所も新人も俳優陣が疲労困憊状態で店を出て行くのを良太は見送り、最後まで立ち会ってくれたバーテンダーの楢木のところへ歩み寄った。
「最後まで有難うございました」
「仕事ですので、お気になさらず。店をお使いいただいているうちは、私の仕事はございませんので」
 腰の低い礼儀をわきまえた人だ、とオーナーの海老原とはまるで正反対だ、などと良太は思う。
 仕事がないとは言いながら、責任者として何があるかも知れないと、目を光らせていたのだろう。
「よう、お疲れ」
 真中を従わせた小笠原が良太の肩をポンと叩く。
「な、あいつ、海老原って、かなり曲者らしいぞ。お前、気をつけろよ」
 しかも良太の耳元でそんなことを呟いた。
「はあ? お疲れ様! 明日遅れるなよ」
 何だよ、みんなして、同じようなことを。
 良太が店を出て行く小笠原に目をやると、何やらボソボソと話していた坂口や溝田が後に続く。
「お疲れ。どう? これから」
 グラスをくいっとやる仕草をする坂口の有り余る体力はどこからくるのかと良太は不思議に思う。

 


back  next  top  Novels

にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へ
にほんブログ村